嘘の価値

2017/03/27
嘘の価値
コラム

真実と嘘



モーツァルトのレクイエムに眠る逸話』、『古典派時代の出世頭』にてアントニオ・サリエリのゴシップについて紹介しました。
モーツァルトの才能に嫉妬して毒殺したという有名なゴシップです。

それが真実なのか嘘なのか、本当のことは誰にも分かりません。
200年以上前の出来事の真偽を見極めるには本人が残した言葉や取った行動、または状況証拠を集めていって限りなくこうである可能性が高いと色付けをするのが限界です。
故に新しい発見がある度に真実とされていたことが覆るということが起こるのです。

話をアントニオ・サリエリに戻しましょう。
モーツァルト毒殺というセンテンスを上記のような濾過装置に通した結果、現状モーツァルト毒殺はゴシップだとされています。
しかしこの地球上に存在しながら、未だ誰の目にも触れていないサリエリ直筆の言葉があったとして、その言葉に光が当たった瞬間にこのゴシップは真実に変わります。
「生前、誰に言うこともなかったが、内通者を通じてモーツァルトの食事に毒を盛ったのは私だ。」
そんな走り書きが新しく発見された楽譜にでも見つかった日には、世界を揺るがす大ニュースになるでしょう。

事実というのは真実も嘘もなくただそこに在るだけのものです。
とても薄い事実というプレートの両側に真実と嘘がぶら下がっていて、真実に傾いたものは真実と名付けられ、嘘に傾いたものは嘘と名付けられているだけです。
歴史はこの真実に傾いた事実だけを集めて紡がれているものですから、取りこぼした事実がないかどうかには心を砕きません。
しかし事実からの距離を絶対値で考えれば、歴史がどうであれ嘘にも真実同様に何かしらの価値があるということになります。

サリエリのゴシップはロシアの詩人、アレクサンドル・プーシキンによって劇詩になり、この劇詩を基にした映画『アマデウス』によって現代の人の知るところとなっています。
この映画で描かれている世界が真実であれ嘘であれ、この映画で初めてモーツァルトの作品に触れたという人も大勢いると思います。
そしてモーツァルトの作品の素晴らしさは、どういう経路を通ってそこに辿りついたとしても、変わらない輝きを持ってそこに在ります。

サリエリについても同様です。
現代では演奏機会の減ってしまっているサリエリですから、この映画がなければサリエリという音楽家を知らずにいる可能性は非常に高いと思います。
今は簡単に作品にアクセスできる時代ですから、サリエリという存在に興味を持てばその作品を聴くことは難しくありません。
サリエリにとって名誉な話ではありませんが、決してマイナスな面ばかりではないのです。

よく人間は二度死ぬと言われます。
一度目は精神と肉体の死、二度目は人の記憶から消える死です。
事実が消えてしまえば、どうやったって水面に顔を出すことはできません。
しかしそれが真実と名付けられていようが、嘘と名付けられていようが、事実が残っていれば水面の上で数多のものと影響を与え合って存在することができます。

科学者であれば真実にこだわる姿勢が何よりも大切でしょう。
しかし芸術に至る道が真実から始まろうと嘘から始まろうと、そこに生まれる価値が唯一絶対の事実となるのです。
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