音楽を再発明した作曲家
ジョン・ケージ

『演奏に639年かかる曲』と『音の鳴らない音楽』で紹介したアメリカの作曲家、ジョン・ケージ。
発明家である父の血を受け継いだのか、音楽に多分に実験的要素を盛り込んだ唯一無二の作曲家です。
作曲家を志したケージが、『調性音楽へのアンチテーゼ』で紹介したシェーンベルクに師事したというのも何か出来すぎた話のような気がします。
そんな師であるシェーンベルクに「音楽を志すには一生を音楽に捧げる覚悟がないといけない。」と言われたケージは音楽の道に邁進しますが、徐々に自身に和声の感覚がないことを自覚していきます。
それをシェーンベルクに伝えると、「それは音楽を続ける上で大きな壁になるだろう。」と返答されましたが、ケージは「それであれば自分は一生壁に頭をぶつけ続けます。」と答えたそうです。
この己の意思を貫き通す強さが唯一無二の作曲家、ジョン・ケージを作り出した大きな要因になっているように思われます。
では一体どのように唯一無二だったのでしょうか。
音楽に対する実験的なアプローチとして、プリペアド・ピアノの考案がまず挙げられます。
これはグランドピアノの弦にゴムや金属や木などをはさんで、音色を打楽器的なものに変えてしまうというものです。
ダンスの付随音楽の作曲を依頼されたケージは打楽器を大量に使用したアンサンブルを考案しますが、会場のスペースの関係で打楽器が使用できずピアノで代替する必要性があったため、プリペアド・ピアノを発明したそうです。
次にケージの代名詞とも言えるチャンス・オペレーション。
偶然性の音楽と訳される言葉ですが、簡単に言うと作曲者の主観性を徹底的に排除した音楽ということになります。
例えばコインやサイコロを投げて音高、持続、音色などを決定すれば、そこには作曲者の主観は全く入りませんよね。
そこに提示された音楽は、完全に誰の主観からも独立した音楽になるということです。
さらにその考えを推し進めて、演奏の際にも不確定性を表現しようとしてできたのが『音の鳴らない音楽』で紹介した4分33秒です。
無響室という音がないはずの世界でも、自身の血流の音と神経系が働く音が鳴っていることに気が付いた時に「この世界に音のない世界はない。」ということに思い至り、あえて譜面の中では音を使わないという作品を作りました。
まったく音を鳴らさなくても、聴こえてきた音全てが音楽になるという考え方です。
いわゆるクラシック音楽でよく使われる楽器から音楽を解放してあげて、どんな音でも組織化されたものを音楽と呼ぼうとケージは主張しています。
そこには「結果をあるがままに受け入れる」という禅の思想が組み込まれているのですが、実際にケージは鈴木大拙の下で禅を2年間学んでいました。
そして何と言ってもケージと言えばキノコ研究です。
キノコの胞子が飛び散る瞬間に奏でられる、人間には聴こえない音楽に思いを馳せ、エリック・サティの音楽をキノコに例えたりもしています。
また多分にキノコから着想を得ているケージは、キノコの不確定性にも言及しています。
普段火を通してよく食べていたキノコを散歩中に見つけたケージは迷うことなくそれを口に運んだはいいものの、実はそれが毒キノコだったということがあり、知ったつもりになっていても知らない部分が出てくる、そういう知れば知るほど識別できなくなっていく不確定性に惹かれていたそうです。
もうひとつおもしろいエピソードがあります。
聴こえてきた音は全て音楽になるという考えのケージは、生活圏での騒音も気にならなかったようですが、たったの一度だけあまりのうるささにクレームを言ったことがあるそうです。
その相手というのが同じダコタ・ハウスに住んでいた、なんとジョン・レノン。
その練習があまりにもうるさくて堪らず文句を言いに行ったそうです。
どんな騒音も気にならないというケージが、世界最高のロックバンドの音だけは許せなかったというのは、なんとも皮肉な話ですね。
発明家である父の血を受け継いだのか、音楽に多分に実験的要素を盛り込んだ唯一無二の作曲家です。
作曲家を志したケージが、『調性音楽へのアンチテーゼ』で紹介したシェーンベルクに師事したというのも何か出来すぎた話のような気がします。
そんな師であるシェーンベルクに「音楽を志すには一生を音楽に捧げる覚悟がないといけない。」と言われたケージは音楽の道に邁進しますが、徐々に自身に和声の感覚がないことを自覚していきます。
それをシェーンベルクに伝えると、「それは音楽を続ける上で大きな壁になるだろう。」と返答されましたが、ケージは「それであれば自分は一生壁に頭をぶつけ続けます。」と答えたそうです。
この己の意思を貫き通す強さが唯一無二の作曲家、ジョン・ケージを作り出した大きな要因になっているように思われます。
では一体どのように唯一無二だったのでしょうか。
音楽に対する実験的なアプローチとして、プリペアド・ピアノの考案がまず挙げられます。
これはグランドピアノの弦にゴムや金属や木などをはさんで、音色を打楽器的なものに変えてしまうというものです。
ダンスの付随音楽の作曲を依頼されたケージは打楽器を大量に使用したアンサンブルを考案しますが、会場のスペースの関係で打楽器が使用できずピアノで代替する必要性があったため、プリペアド・ピアノを発明したそうです。
次にケージの代名詞とも言えるチャンス・オペレーション。
偶然性の音楽と訳される言葉ですが、簡単に言うと作曲者の主観性を徹底的に排除した音楽ということになります。
例えばコインやサイコロを投げて音高、持続、音色などを決定すれば、そこには作曲者の主観は全く入りませんよね。
そこに提示された音楽は、完全に誰の主観からも独立した音楽になるということです。
さらにその考えを推し進めて、演奏の際にも不確定性を表現しようとしてできたのが『音の鳴らない音楽』で紹介した4分33秒です。
無響室という音がないはずの世界でも、自身の血流の音と神経系が働く音が鳴っていることに気が付いた時に「この世界に音のない世界はない。」ということに思い至り、あえて譜面の中では音を使わないという作品を作りました。
まったく音を鳴らさなくても、聴こえてきた音全てが音楽になるという考え方です。
いわゆるクラシック音楽でよく使われる楽器から音楽を解放してあげて、どんな音でも組織化されたものを音楽と呼ぼうとケージは主張しています。
そこには「結果をあるがままに受け入れる」という禅の思想が組み込まれているのですが、実際にケージは鈴木大拙の下で禅を2年間学んでいました。
そして何と言ってもケージと言えばキノコ研究です。
キノコの胞子が飛び散る瞬間に奏でられる、人間には聴こえない音楽に思いを馳せ、エリック・サティの音楽をキノコに例えたりもしています。
また多分にキノコから着想を得ているケージは、キノコの不確定性にも言及しています。
普段火を通してよく食べていたキノコを散歩中に見つけたケージは迷うことなくそれを口に運んだはいいものの、実はそれが毒キノコだったということがあり、知ったつもりになっていても知らない部分が出てくる、そういう知れば知るほど識別できなくなっていく不確定性に惹かれていたそうです。
もうひとつおもしろいエピソードがあります。
聴こえてきた音は全て音楽になるという考えのケージは、生活圏での騒音も気にならなかったようですが、たったの一度だけあまりのうるささにクレームを言ったことがあるそうです。
その相手というのが同じダコタ・ハウスに住んでいた、なんとジョン・レノン。
その練習があまりにもうるさくて堪らず文句を言いに行ったそうです。
どんな騒音も気にならないというケージが、世界最高のロックバンドの音だけは許せなかったというのは、なんとも皮肉な話ですね。
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