天使の声を聴いたシューマン
天使の主題による変奏曲

『シューマンの指』で紹介したシューマンですが、晩年はひどい精神障害に悩まされていました。
鳴り止まない幻聴と不安を掻き立てるような幻覚、止まらない震え、躁鬱症状に加えて数々の恐怖症。
家族を傷つける可能性を恐れたシューマンは、精神病院への入院を自ら希望するほどに絶望の淵まで追い詰められていました。
そんな最中、シューマンは天使の合唱の幻聴を聴き、これを五線譜に書き留めます。
そしてこの幻聴を主題とした変奏曲を作曲し、完成したその日にライン橋からライン川に結婚指輪を投げ入れ、その後自らの身を投げ入れます。
愛する妻に「君の結婚指輪もライン川に投げ入れて下さい。そうすればふたつの指輪はひとつに結ばれます。」という走り書きを残して。
しかしこの自殺騒動は飛び込む瞬間を漁師が見ていたこともあり、未遂として終わります。
鳴り止まない幻聴と不安を掻き立てるような幻覚、止まらない震え、躁鬱症状に加えて数々の恐怖症。
家族を傷つける可能性を恐れたシューマンは、精神病院への入院を自ら希望するほどに絶望の淵まで追い詰められていました。
そんな最中、シューマンは天使の合唱の幻聴を聴き、これを五線譜に書き留めます。
そしてこの幻聴を主題とした変奏曲を作曲し、完成したその日にライン橋からライン川に結婚指輪を投げ入れ、その後自らの身を投げ入れます。
愛する妻に「君の結婚指輪もライン川に投げ入れて下さい。そうすればふたつの指輪はひとつに結ばれます。」という走り書きを残して。
しかしこの自殺騒動は飛び込む瞬間を漁師が見ていたこともあり、未遂として終わります。
ヴァイオリン協奏曲

さてシューマンが極限の精神状態で耳にした天使より与えられた主題ですが、実は半年前にヨーゼフ・ヨアヒムの依頼により作曲したヴァイオリン協奏曲の第2楽章の主題と酷似したものでした。
シューマンの遺作となるこのヴァイオリン協奏曲も多くのいわくのある作品で、1937年にベルリンの図書館でヨアヒムの蔵書から発見されるまで、シューマンの死後80年以上も光を浴びることなく闇に埋もれていました。
そもそも何故、ヨアヒムは自身が作曲を依頼したにも関わらず演奏することなく闇に葬ってしまったのでしょうか。
いくつかの説がありますが、シューマンの精神状態が悪化の一途を辿っていた最晩年に作曲されたこともあり、ヨアヒムに送られてきたヴァイオリン協奏曲は第3楽章において作曲技法上の不備がありました。
ヨアヒム自身が手を入れて初演に向かおうとしている痕跡はあるのですが、尊敬するシューマンの作品を完全な状態で演奏できないのであれば封印してしまおうと考えるに至ったというのが有力な説です。
また妻のクララも、シューマンが天使に教えてもらったと言っていた主題が、第2楽章の主題と酷似していることを苦慮し、家族にもぜったいに演奏をしてはいけないと伝えていたそうです。
そんな数奇な運命を辿ったヴァイオリン協奏曲ですが、発見後は「ドイツ人の作品はドイツ人が演奏するべき。」というナチス主導の下、ゲオルク・クーレンカンプのヴァイオリン独奏とカール・ベーム指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の共演で初演を迎えます。
しかしそのままでは演奏不可能としたクーレンカンプが大幅に書き換えたものであった為、シューマンらしさは影を潜めた演奏だったそうです。
翌月にアメリカ初演を行ったユーディ・メニューインは原典版に近い形で演奏を行った為、「自分こそが真の初演者。」と喧伝しました。
ある意味ではシューマンを取り巻く周りの愛が、この作品を長く闇に眠らせる結果となったのです。
シューマンの遺作となるこのヴァイオリン協奏曲も多くのいわくのある作品で、1937年にベルリンの図書館でヨアヒムの蔵書から発見されるまで、シューマンの死後80年以上も光を浴びることなく闇に埋もれていました。
そもそも何故、ヨアヒムは自身が作曲を依頼したにも関わらず演奏することなく闇に葬ってしまったのでしょうか。
いくつかの説がありますが、シューマンの精神状態が悪化の一途を辿っていた最晩年に作曲されたこともあり、ヨアヒムに送られてきたヴァイオリン協奏曲は第3楽章において作曲技法上の不備がありました。
ヨアヒム自身が手を入れて初演に向かおうとしている痕跡はあるのですが、尊敬するシューマンの作品を完全な状態で演奏できないのであれば封印してしまおうと考えるに至ったというのが有力な説です。
また妻のクララも、シューマンが天使に教えてもらったと言っていた主題が、第2楽章の主題と酷似していることを苦慮し、家族にもぜったいに演奏をしてはいけないと伝えていたそうです。
そんな数奇な運命を辿ったヴァイオリン協奏曲ですが、発見後は「ドイツ人の作品はドイツ人が演奏するべき。」というナチス主導の下、ゲオルク・クーレンカンプのヴァイオリン独奏とカール・ベーム指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の共演で初演を迎えます。
しかしそのままでは演奏不可能としたクーレンカンプが大幅に書き換えたものであった為、シューマンらしさは影を潜めた演奏だったそうです。
翌月にアメリカ初演を行ったユーディ・メニューインは原典版に近い形で演奏を行った為、「自分こそが真の初演者。」と喧伝しました。
ある意味ではシューマンを取り巻く周りの愛が、この作品を長く闇に眠らせる結果となったのです。
関連記事