水上の音楽は王への謝罪のために作曲された?

2016/07/05
水上の音楽は王への謝罪のために作曲された?
雑学 楽曲

ロンドンでの成功



バロック期を代表する作曲家、ヘンデルはドイツに生まれながらその人生の大半をイギリスはロンドンで過ごしました。
音楽の道での大成を夢見る若きヘンデルは、当時ヨーロッパを席巻していたイタリア・オペラを学ぶ為に4年間をかけてイタリアの各地を巡ると、多くのオペラを発表し徐々にその名声を高めていきます。

そしてヘンデル25歳の時にハノーファー選帝侯であるゲオルク・ルートヴィヒに宮廷楽長に任命されるまでに至ります。
選帝侯というのは神聖ローマ帝国において王を選ぶ権利を持った諸侯、簡単に言えば特別な権利を持った偉い人ってことです。

見事音楽の世界で宮廷楽長にまで登りつめたヘンデルですが、彼の野心はここでは終わりませんでした。
当時まだオペラの新興国であったイギリスにおいての成功を夢見るようになります。

ロンドンに移住したヘンデルはイギリス王室のアン女王の庇護の下、瞬く間にロンドンで人気のオペラ作曲家となりました。
しかしどういう経緯かは分かりませんが、ヘンデルはドイツでの宮廷楽長の地位はそのままにロンドンへ移住していたのです。
度々の帰国命令も聞き入れず、ヘンデルを宮廷楽長に任命したゲオルク・ルートヴィヒからすれば面白い話ではないでしょう。

面白い話ではないはずですが、ここで面白いことが起きます。
ヘンデルを抱え込んでいた英王室のアン女王がヘンデル渡英の2年後に亡くなるのですが、アン女王には跡取りとなる成人した子がありませんでした。
アン女王の生前にはもう議会で跡取りとなる血筋が決められていたのですが、その血筋にいたのがゲオルク・ルートヴィヒの母でした。
そこで長男であるハノーファー選帝侯、ゲオルク・ルートヴィヒがジョージ1世としてアン女王の跡取りとなったのです。

ヘンデルはきっと青くなったことでしょう。
ドイツでの宮廷楽長という地位を捨てないままでイギリス王室に仕えていたら、自身を宮廷楽長に任命した人間がイギリス王室のトップになったのですから。

これは謝罪をしないとまずいと思ったヘンデルはジョージ1世がテムズ川で舟遊びをするのに合わせて『水上の音楽』を作曲してジョージ1世に捧げたのです。

これまではジョージ1世がイギリス王室に迎えられた翌年の1715年に演奏されたというのが定説でしたが、現在見つかっている記録では1717年に3度に渡って演奏されたというものが最も古い演奏記録となっており、謝罪にしては遅くないかと言われています。
また1736年にも舟遊びに際して演奏されていることから、舟遊びの度に数度に渡って作曲されたというのが現在の通説となっています。

作曲の経緯はどうあれ今日ではヘンデルの代表曲と呼ばれる作品となっています。

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