音楽に才を見せたプロイセンの王

2016/07/02
音楽に才を見せたプロイセンの王
人物 雑学

フリードリヒ2世



フリードリヒ2世はプロイセンの3代目にあたる国王で、プロイセンの最盛期を作り上げた人物です。
兵隊王と呼ばれた質実剛健な父と、宮廷人で芸術に理解のある母という正反対の両親から生まれたフリードリヒ2世ですが、少年時代は母親似の芸術家気質でした。
当時を代表する名フルート奏者で、フリードリヒ2世の音楽教師として仕えていたヨハン・ヨアヒム・クヴァンツからフルートの手ほどきを受けると、父である国王の目を盗んでは演奏会を開いていたようです。

何か国を潰してしまいそうな頼りない跡継ぎのようなエピソードですが、フリードリヒ2世は父以上の軍事的才能と政治的才能を兼ね備えており、地理的な不利を抱えるプロイセンの生命線確保のために領土拡大を続けます。
神聖ローマ帝国の世継ぎ問題に乗じて自身の花嫁候補でもあったマリア・テレジア擁するオーストリアに攻め込み、シュレージエンの領有権を得ます。

マリア・テレジアも黙っておらず、周辺諸国を巻き込むとプロイセンに攻め込みます。
妙計奇策を駆使して抗戦を続けたフリードリヒ2世ですが、その圧倒的な兵数の差によって徐々に旗色が悪くなります。
イギリスからの軍事資金の援助も打ち切られると、フリードリヒ2世は自決を覚悟するまでに追い込まれますが、ここで運命を変える奇跡が起きます。

マリア・テレジアの盟友、ロシアのエリザヴェータ女帝が急死すると、フリードリヒ2世を崇拝していたピョートル3世がその跡を継ぎ、ロシアは戦争から手を引きます。
それに呼応するかのようにオーストリアと意を同じくしていた他の国々も次々に兵を引き上げ、孤立したオーストリアは善戦むなしくプロイセンの軍門に降ることになります。
こうしてシュレージエンの領有権を完全なものにしたフリードリヒ2世は、その後も領土拡大を続けると同時に国民の為の政治を展開し、プロイセンの最盛期を造り上げるに至ります。

話が音楽から逸れてしまいましたが、周囲から尊敬を集める国王となったフリードリヒ2世には数多くの優秀な音楽家が仕えており、宮廷では大規模な演奏会が数多く行われていました。
そんな音楽家の中にあの大バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハがいました。
以前の記事『バッハの華麗な一族』で簡単に経歴を紹介しましたが、大バッハの息子たちの中では一番高い名声を得た音楽家です。

このカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが父である大バッハフリードリヒ2世に紹介したのですが、フリードリヒ2世はひとつのハ短調のテーマを大バッハに提示しました。
このテーマを基に3声のフーガを即興演奏した大バッハフリードリヒ2世よりさらに6声のフーガの即興演奏を求められます。
さすがに即興では演奏できなかった大バッハですが、後にこの6声のフーガを含む作品集を『音楽の捧げもの』としてフリードリヒ2世に献呈します。

その頃のバッハの作品は当時の聴衆からは古いと言われていましたが、バロック様式の音楽を好んだフリードリヒ2世は3声の即興演奏にも『音楽の捧げもの』にも大変な感銘を受けたそうです。
フリードリヒ2世自身も多くの曲を作曲し、その数はフルート・ソナタだけでも121曲にも及びます。

後世にまで語られるその軍事的な才能、また食糧事情を改善するためにジャガイモの栽培を導入するなどの内政的な才能、さらには音楽の才能と、まるで天が二物も三物も与えたようなそんな才あふれる国王ですね。

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