芸術は二本足で立てるのか

2016/05/27
芸術は二本足で立てるのか
コラム

右手を繋ぐもの



創作をするということはユニークであろうとすることと同義と言えます。
そもそもユニークでない創作というのはコピーであり、それは創作とは言えません。

全ての芸術作品は創作物であり(ここで言葉の篩いをかけます)、ユニークなものですが、果たして芸術は芸術だけで存在し得るものでしょうか。
この問いに対して道具と人というふたつの視点から考えてみたいと思います。

ベートーヴェンの演奏するピアノフォルテはその生涯の中で5オクターブから6オクターブへと進化を遂げました。
当然、楽器という手段の変化に伴って創作の範囲は変化していくこととなります。
音楽は表現されることを念頭に創作をされていますから、演奏ができないものを創作しても仕方がありません。

その後ピアノの進化は88鍵、7オクターブ4分の1まで進んでいきます。
これ以上は人間の耳には判別できず、ヒトラーの演説に低周波が使われたというように、人間の感覚に影響を与えることがあっても音楽という括りは飛び越えてしまいます。
音の高さにおいてはこの人間の耳で判別できるという所がひとつの限界点となるでしょう。

音の大きさ、音色はどうでしょう。
モーツァルトにエレキギターを渡してみたらどうなるのでしょうか。
アンプラグドな楽器と違い、ただの単音でも音圧が加わることでその意味合いが変わってきます。
常にアドレナリンが渦巻いていた様なモーツァルトですから、もしかしたら無調音楽を飛び越えてノイズミュージックが隆盛を極めていたかもしれません。

少し大げさなIFだったかもしれませんが、これは楽器の特性の話にも繋がっていきます。
ある音色を出すためには、楽器の材質や形状にその特性故の制約というものが必ず付いて回ります。
さらに演奏についても管楽器奏者に5分間無呼吸で演奏しろということが無理な様に、楽器それぞれの制約があります。
つまり、フレーズというものは音色や演奏などの制約の上で成り立っているということです。

音楽の創作において、創作者の頭の中に音が生まれたとします。
そこには必ず音階と音色と音量が存在するはずです。
どれかひとつ欠けても音は音を維持することができません。
自らの耳で聴こえない音階はその人の脳に想起されることはありません。
そして自らが聴いたことのない音色も想起できない以上、必ず何かの楽器の音が聴こえ、その音は楽器の特性上の制約を受けることとなります。
音量については個人差がありますが、誰にも聴こえない小さい音量では音楽は何の意味もなく、鼓膜を破るような大音量はただの拷問です。

このように創作物は道具の制約を受けることが分かると思います。

左手を繋ぐもの



別の視点で考えてみます。
卵が先か鶏が先かという話で、人が時代を作るのか時代が人を作るのかは分かりませんが、創作物は得てして何々時代の作品だとか何々主義の作品だという言われ方をします。
冒頭の通り、創作はユーニクであろうとする性質を持っています。
故に創作物である芸術作品はユニークであろうとし、芸術作品を創作する芸術家もユニークであろうとします。

では一体何からユニークになろうとしているのでしょうか。
それが時代や人ではないかと思うのです。

モーツァルトに代表される古典音楽は、非常に自由に見えて実は厳格なルールが存在しました。
それは美しい響きを守るためのルールであり、創作者はこのルールの上でそれぞれの創作を展開していったのです。
同一のルールで多数の作品が生み出された結果、そこにはそのルールで作品が作られた時代というレッテルが生み出されます。
時代を作った人間はその時代を誇り、死んでいくことでしょう。

しかし時代が形作られた後に生まれた芸術家はこの時代からユニークであろうとします。
破壊と創造はコインの裏表。
破壊者であり創造主でもある新時代の芸術家は思います。
なぜ響きは美しくなければいけないのだろうと。

もしこの新時代の芸術家が前時代を築き上げた創作者として生まれていたら、その才能は前時代の文脈の中で発揮されていたでしょう。
もしこの新時代の芸術家がさらに次の時代を築く創作者として生まれていたら、その才能は新時代の破壊の旗手として発揮されていたでしょう。
創作がユニークであろうとする限り、創作者は今からの脱皮を考えるのです。

それはつまり、その創作者の選択肢から"今"が失われることを意味します。
もちろん同じ時代の中でユニークであることも可能でしょう。
しかし現実に時代は変わり続け、破壊と創造を繰り返しているのです。

ここまで道具と人という観点から芸術というものを考察しましたが、芸術はこの道具と人に両腕を支えられて立っているイメージが分かるかと思います。
今回は音楽を例に出しましたが、どのようなジャンルであっても同じでしょう。

そして道具も人も変わり続ける時代と共にあります。
新しい創作は、今という時代を意識することなく生まれてくることはないでしょう。
そして今を超えるための方法論に、創作者のユニーク性というものが現れるのではないでしょうか。
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