ショパンの恋と作品

2016/05/24
ショパンの恋と作品
人物 楽曲

コンスタンツィア・グラドコフスカ



ショパンがまだ祖国ポーランドで生活をしていた19歳の折、1通の手紙が友人のもとへと届きます。
そこには理想とも思える女性を見つけたこと、出会って半年間まだ一度も話せていないこと、そしてその彼女を想いコンチェルトのアダージョを書いたことが書かれていました。

その女性の名前はコンスタンツィア・グラドコフスカ。
ショパンと同じワルシャワ音楽院に通うソプラノ歌手で、取り巻きの多い人気のある女性だったようです。
繊細で内向的なショパンはなかなか話しかけることもできなかったようですが、ポーランドを離れる際の演奏会ではグラドコフスカがソプラノとして参加しています。

ショパンがポーランドを離れて以降は実際に会うことはなかったようですが、10代のショパンの恋慕の情がどのような音楽に昇華したのでしょうか。
グラドフスカを想い作曲されたアダージョはピアノ協奏曲第2番の第2楽章だと言われています。

あのショパンが理想という言葉を用いた初恋であり、甘い夢のようなまるで天にも昇るような気持ちと、その想いを口にすることができずに葛藤し続けた気持ち。
そんな19歳のショパンの初恋に想いを馳せながらぜひ聴いてみて下さい。

マリア・ヴォジンスカ



フランスからの移民であるショパンの父親は宮殿内にあるワルシャワ学院でフランス語の教師をやっており、その関係でショパン一家は宮殿の庭園に住んでいました。
それが故にショパンの家には多くの貴族が出入りしており、その中にヴォジンスカ家という一家がありました。
ショパン自身もヴォジンスカ家に遊びに行くこともあり、その頃6歳だったマリアという少女にピアノを教えたりもしています。

時は流れ10年後。
ポーランドを後にしていたショパンはドレスデンでマリア・ヴォジンスカと再会します。
16歳になったマリアをひと目見たショパンは一気に心を奪われます。

ドレスデンでは短い滞在であったようですが、翌年の夏にも再開したショパンとマリアは1ヶ月という長い時間を共にし、ショパンはマリアにプロポーズします。
これを受け入れたマリアですが、所詮は身分の違う身。
ショパンの健康上の問題、不規則な生活などを理由に婚約を破棄されます。
また当時ポーランドはロシアを初めとする周辺諸国に支配されており、革命派だったショパンに対しマリアの親族が親ロシア派だったことも一因と言われています。

悲嘆にくれたショパンはマリアとの手紙の数々と『ある楽譜』を包みにまとめてリボンで束ねると、包みに「Moja bieda(我が悲しみ)」と記し、彼女からもらったバラを添えて生涯大切にしました。

この『ある楽譜』というのは現在『別れのワルツ』として親しまれているショパンのワルツ第9番で、ショパンが初めにマリアと再会したドレスデンを去るときに作曲し、ある意味幸せの絶頂を切り抜いた様な作品です。
ショパンはこの作品をマリアのためだけに作曲し、生前発表されることはありませんでした。

ジョルジュ・サンド



ショパンの人生の中で、最も多くの影響を与えた女性と言えばこのジョルジュ・サンドではないでしょうか。
フランスの女流作家であるサンドは全身黒の男装姿で手には常に葉巻、ショパンの初めの印象は最悪で、「なんて感じの悪いやつなんだろう、女性であることすら疑ってしまうよ。」と評しています。

友人であるリストによって引き合わされたふたりですが、初めに好意を持ったのはサンドの方でした。
そして最悪の印象から始まったショパンの気持ちも徐々にこのサンドへと向けられていきます。

すでに作曲家として名前の知られたショパンと何人もの男を弄んできたサンドの関係はすぐに人々の噂にのぼるようになりました。
人々の喧騒から逃れるようにふたりはスペインのバルセロナ沖にあるマジョルカ島へ移り住むことを決めます。
サンドには前夫との間にふたりの子供がいたのですが、長男が病弱であったことからショパンとこの長男の療養も兼ねて温暖なマジョルカ島を選んだようです。

しかしこのマジョルカ島移住がショパンの病状をより悪化させる結果となります。
ショパンの結核を恐れた島民は島の中心街に住むことを許さず、仕方なくショパン一行は山奥にある廃墟になった寺院で生活することを余儀なくされます。
石造りでただでさえ身体が冷える中、その年に限って雨量が多く、湿りがちで寒い日が続いたようです。
ただ芸術家にとっては不安や孤独というのは作品を生み出す為の肥やしとなるのか、ショパンはこのマジョルカ島にて多くの作品を残しています。

みるみる弱っていくショパンを目の当たりにしたサンドは、これ以上島での生活を続けることは困難と考え、島を離れる決意をします。
島から戻ったショパンは誰の目にも明らかなほど衰弱しきっており、マジョルカ島への移住がなければショパンの寿命は10年以上も長かったのではないかと言われる程でした。
しかしサンドの献身的な看護で小康状態まで持ち直すと、円熟期を迎えたショパンはさらに多くの傑作を生み出すようになります。

最終的には芸術家同士の恋ですから、消耗しあった結果いくつかの問題を原因として別れが訪れることとなります。
しかしショパンにとって、この激しい時間の中に身を置いたことは創作活動にとって決してマイナスではなかったのでしょう。
数々の名曲がこの時期に作曲されていることがその根拠と言えます。

そんな名実共に命の火を燃やしたかのような激動のサンドとの関係の中で、可愛らしい創作秘話が残されている曲があります。
サンドは当時何匹かの犬を飼っており、ショパンも大変その犬たちを可愛がったそうです。
そのうちの一匹が自分の尻尾を追いかけてくるくると回る姿をみたショパンが、あの『子犬のワルツ』を作曲したと言われています。

真偽はともかくとして、聞いているだけで消耗してきそうなエピソードの多いサンドとの関係のなかでも、穏やかで幸せな時間があったことに想いを馳せながら聴いていみるのも良いのではないでしょうか。

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