チャイコフスキーの突然死の謎

2016/04/19
チャイコフスキーの突然死の謎
雑学

ピョートル・チャイコフスキー



チャイコフスキーはロシアで西欧音楽の教育を受けた第一世代の作曲家です。
それまでは海外で教育を受けて認められたロシア人作曲家はいるものの、ロシア国内では皇帝の庇護を受けたイタリアオペラなどの黒船が我が物顔で汽笛を鳴らしているような状況でした。

ウィーンでピアニストとして活躍していたロシア人のルビンシテインはこの状況を見かねて、帰国するとサンクトペテルブルク音楽院を設立します。
当時法律学校を出て、法務省に勤務するというエリートコースを歩んでいたチャイコフスキーは、この音楽院設立を聞きつけるや全てを投げ打って第一期生として入学します。
その後の活躍は周知の事実かと思いますが、西欧の音楽理論を学んだチャイコフスキーは西欧で認められる作曲家へと成長していきます。

突然の死



チャイコフスキーは生涯で6つの交響曲を作曲しておりますが、交響曲第6番の『悲愴』はその名前を聞いたことがある人も多いのではないかと思います。
この交響曲第6番の初演はチャイコフスキー自身による指揮で1893年10月16日に執り行われます。
この際の聴衆の反応を、チャイコフスキーの弟が「悲愴的だ」と評したのが現在の通り名となっている『悲愴』という標題になったようです(つまり、あまり反応が良くなかったってことですね)。
そしてその9日後の1893年10月25日、チャイコフスキーは急死します。

9日前までは自身の交響曲の初演で元気に指揮棒を振っていたのに、突然病死してしまったことから、チャイコフスキーの死因については多くの憶測が飛び交うようになります。

まず初めに発表されたのは、当時ロシアで流行していたコレラにかかって死亡したというものです。
1893年10月20日、チャイコフスキーは芝居を観た帰りに立ち寄ったレストランで周りが止めるのも聞かずに生水(ネヴァ川の水)を飲んでしまいます。
これによりコレラに感染したチャイコフスキーは医者に診てもらうも、どうすることもできずに直後に死んでしまったのです。

唱えられた異論



1978年、この発表に対して複数の状況証拠を手に異論を唱えるものが現れます。
まずは生水を飲んでから死に至るまでの期間があまりにも短いこと。
そしてコレラ患者は死後、感染拡大を防ぐ為に鉛の棺に入れられて当然接触を試みることはできないのですが、チャイコフスキーの葬儀では参列者が顔や手にキスをしていたということ。
このことからチャイコフスキーの死はコレラによるものではないというものです。

ではなぜチャイコフスキーは突然の死を迎えたのでしょうか。
前述の説を唱えた音楽学者のオルロバはチャイコフスキーと同じ法律学校を出ているボイトフの証言を基に驚くべき仮説を発表します。

チャイコフスキーは秘密法廷が開かれた結果、自殺を強要されたという説です。
秘密法廷が開かれたというこですが、ではいったいチャイコフスキーはどのような罪を犯したのでしょうか。

チャイコフスキーは同性愛者でした。
これは多くの手紙や日記が残っていることから、ほぼ間違いのない事実だと思います。

ある日チャイコフスキーはとある議員の甥と関係を持ちます。
それを知った議員は皇帝に告発状を送り、その訴状を委託されたのがヤコビという人物でした。
このヤコビもチャイコフスキーと同じ法律学校の人間で、大作曲家であるチャイコフスキーが同性愛者だったというスキャンダラスな事実が公のものとなれば、母校の名に泥を塗ることになってしまうと考え、1893年10月19日に秘密法廷を開きます。
秘密法廷にはこの法律学校出身のものが何名も混ざっており、チャイコフスキーは母校の名誉の為に死をもって償うべきだという結論が出されます。

翌日チャイコフスキーのもとに砒素が届けられると、チャイコフスキーはそれを飲むことを強要され、1893年10月25日に死を迎えたというものです。

突然死の真相



チャイコフスキーの診察にあたった医者のカルテが現代でも残されており、その研究を進めた結果、やはり現代ではコレラに因る死というのが一般的になっています。

オルロバ説では砒素による死となっていますが、仮に当時手に入る別の毒であったとしてもそれぞれに死に至るまでの症状があります。
しかし、カルテは饒舌にその症状がコレラだと語っているようです。

では先にあげた2つの状況証拠はどうなるのでしょうか。
まず生水を飲んでから死に至るまでの期間ですが、チャイコフスキーは生水を飲んだレストラン内で既に下痢の症状が始まっており、潜伏期間が数時間ということもコレラではざらにあるようです。
またチャイコフスキーの遺体に参列者がキスをしていたということですが、チャイコフスキーの遺体は葬儀前に消毒がされていたそうです。

もちろんどんな説も死人に口がない以上、仮説になってしまいます。
しかし音楽界にとってチャイコフスキーという才能を失ってしまったことは、あまりに悲愴的な事実だということに疑いの余地はありません。

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