日本が生んだ早世の天才作曲家

2016/04/07
日本が生んだ早世の天才作曲家
人物

瀧廉太郎の憾



桜が見頃となっているこの季節ですが、今でも花見客が瀧廉太郎の『花』を歌っているのを見かけます。
多くの音楽の教科書でも取り上げられ、瀧廉太郎の作品を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。

瀧廉太郎は1879年に東京に生まれました。
ヨーロッパの作曲家でいうとモーリス・ラヴェルとほぼ同世代です。

内務官僚であった父の転勤に伴って、東京、富山、大分と学校を転々としていた瀧廉太郎ですが、1894年に大分の学校を卒業すると、現在の東京芸術大学音楽部に最年少の16歳で合格します。
大分の学校時代から、級友の前でオルガンやヴァイオリン、ハーモニカ、尺八などを披露していたということですから、音楽の天分はすでに発揮されており、最年少合格というのも驚くような話ではなかったのかもしれませんね。
1898年にこの音楽学校を最優秀の成績で卒業すると1900年には前述の『花』を含む組曲、『四季』を発表します。

そして1901年、瀧廉太郎の運命を決定付けたドイツ留学に出立します。
メンデルスゾーンの設立したライプツィヒ音楽院に入学しピアノや対位法を学びますが、そのわずか5ヵ月後、オペラの観劇を終えた後に風邪の症状を訴えます。
検査の結果、肺結核と診断された瀧廉太郎は現地の病院で入院治療にあたりますが、症状が改善せず1902年に無念の帰国となります。

父親の故郷である大分県で療養につとめていた瀧廉太郎ですが、1903年、訪れる死の数ヶ月前にひとつのピアノ曲を作曲します。
そのタイトルは『憾』。
うらみと読みます。
恨みという字とは違って憎しみという感情ではなく、道半ばにして病に倒れ、死を目の前にした瀧廉太郎の心残りや未練、無念といった感情を表しています。
弱冠23歳にして逃れられない死というものを突きつけられた若き天才が、その感情の丈をストレートにピアノに叩き付けた作品が、この『憾』です。

この曲の自筆譜の余白には「Doctor!Doctor!」と走り書きがあったそうです。

どんな高名な小説家が、どれだけ文章を練り上げたって、これ以上の重量を持った一文は書けないと思います。
迫り来る死への恐怖と、生への渇望。

1903年(明治36年)6月29日午後5時、瀧廉太郎は大分県の自宅にてそのあまりに短すぎる生涯の幕を閉じます。

瀧廉太郎の花



クラシック音楽は疑うことなくヨーロッパがその本場であり、優れた作曲家やその作品が星の数ほどあります。
しかし日本人にとって、日本人作曲家の作品を聴くというのはまた特別な思いがあります。

瀧廉太郎は『花』、『箱根八里』、『荒城の月』など歌曲に有名な曲が多いですが、それぞれ日本の桜、日本の山、日本の城に構想を得て作曲されたものです。
これらは多少姿は変われど今日でも存在するものであり、インスピレーションの源泉を共有することができます。

お花見シーズンも終わりを迎える時期ですが、瀧廉太郎が見た桜並木に思いを馳せながら、散りゆく桜を鑑賞してみるのもよいのではないでしょうか。

関連記事

2016/01/06
交響曲の父
人物
雑学

2016/09/14
3人目のヨハン・シュトラウス
人物

2016/04/04
リストの娘とワーグナー
雑学
人物

2017/02/28
モーツァルトは下品なのか?
雑学
人物

人気の記事
1位. 平均律と純正律の響きの違い

2位. 木管楽器と金管楽器の違いとは?

3位. 不協和音の定義とは?

4位. ブラームス派 VS ワーグナー派

5位. 魔王の作曲者はシューベルトではない?

6位. ベートーヴェンの難聴の原因

7位. エリーゼのためにのエリーゼって誰?

8位. モーツァルトは下品なのか?

9位. ワーグナーの婚礼の合唱は縁起が悪い?

10位. バラードとは?

11位. エリック・サティという突然変異

12位. 非業の死を遂げた作曲家

13位. ハレルヤコーラスでは起立するべき?

14位. チャイコフスキーの突然死の謎

15位. モーツァルトのレクイエムに眠る逸話

16位. メンデルスゾーンの功績

17位. 交響詩とは?

18位. ベートーヴェンに追い詰められた甥

19位. ソナタ形式とは?

20位. リストの娘とワーグナー